2018年01月24日

第二回 「日本の三大商人 近江商人

第二回は、「日本の三大商人」のお話です。小売業と言えば、商人です。日本では、大阪商人、伊勢商人、近江商人が三大商人と言われています。しかし、何故か商人というと、時代劇で悪代官が、「越後屋、お主も悪よの〜」と褒める(?)ので有名な、狡猾で儲けばかり考えている人種と思われがちですが、実は過去、これらの商人は、非常に革新的であったと同時に社会への貢献を常に意識していたのです。ではまず「近江商人」からご紹介しましょう。

第二回:「日本の三大商人 近江商人」

商人と言えば、家訓や語録が多数あります。中でも社会貢献を意識したものとしては、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」が有名です。「売り手」は、生産者・メーカー・小売業者、「買い手」は消費者・企業、「世間」は地域社会・コミュニティを指します。これは、売り手と買い手がともに満足し、また地域社会への貢献もできるのがよい商売であるということになります。近年の企業の社会的責任(CSR)は、近江商人のこの「三方よし」そのものであると言われおり、例えば伊藤忠商事のHPでは”「三方よし」と伊藤忠商事のCSR”というテーマで紹介されています。
ただ儲ければよいのではなく、社会的に認められる正当な商売を信条とし、近江商人はそのための規律、道徳、行動哲学としてこれを定めました。近江商人の商いの仕方は、近江に本店を置き、行商として全国各地を対象に商いをしていました。当時、他国で上手く商いを行うためには、自分の利益を優先する前に、商いを行うその地域を思う気持ち、今でいう社会貢献活動を視野においた商いが、何よりも大切なことでした。また、実際に近江商人は神仏への信仰が篤く、規律道徳を重んずる者が多かったと言われています。
たとえば、「薄利多売」は、取引ごとに最大利益を追求するのではなく、長期的経済合理性を重んじるという近江商人の理念です。しかし、近江商人における薄利多売の本当の意味は、「高く売れそうな時でも、自分の利益のためだけにふっかけないで薄利で売り、信頼を勝ち取れば、最後はみんなが買ってくれるから多売になる。相手のことを考えて商売をしろということ」とも言われています。また、成功した近江商人は、神社仏閣に寄進、地域の公共事業に投資した逸話が数多くあるそうです。
しかし、その一方、江戸の商人からは、商売の上手さを妬まれ、「近江泥棒」とも言われました。小売業では、高島屋、白木屋(後の東急日本橋店)が近江出身、また、伊藤忠や丸紅などの大手総合商社も近江商人が前身であり、近江商人のおう盛な行動力、地域間の物産回しの巧みさとその地域に貢献する精神を引き継いだのが日本独特の総合商社だとも言われています。
posted by 大島教授 at 10:27 | Comment(0) | 記事

2013年11月07日

第1回:小売業と私

第一回は、「小売業と私」のお話です。私は社会に出て既に40年ちかく経ちましたが、この間、ずっと小売業のビジネスに携わってきました。最初は小売業に就職し、転職したコンピューター会社、コンサルティング会社でも、クライアントはほとんど小売業でした。そこで、私がなぜ小売業に携わるようになったかお話ししたいと思います。

第1回:小売業と私

親に聞きますと、私は小さい頃将来何になりたいかと聞かれると、皆さんにも結構いらっしゃると思いますが「電車の運転手」、それから「パン屋さん」か「コロッケ屋さん」になりたいと言っていたようです。「電車の運転手」は、趣味でいまだに少し「鉄」が入っていますが、「パン屋さん」、「コロッケ屋さん」はとうとう本業になってしまいました。

当時、おかずパンなどは近所のパン屋さんにあまりなく、パン屋さんでコッペパン(懐かしいですね)を買い、それを精肉店に持って行って揚げたてのコロッケとキャベツとタップリのソースをかけてもらうのが大好きでした。今もパンを持っていけばやってくれるのかどうかは定かではありませんが、とにかく今の焼き立てパンなど比較にならないほど鮮度の高いアツアツのコロッケパンでした。多分、子供ながらに「パン屋さん」や「コロッケ屋さん」になれば、毎日美味しいコロッケパンが食べられると思ったのでしょう。

また、子供の頃の写真をみますと、当時の百貨店の屋上の遊園地で遊んでいる写真が結構あります。当時は、「お出かけ」といえば百貨店でおもちゃなどを買ってもらい、大食堂でお子様ランチを食べ、屋上の遊園地で遊ぶというのが定番でした。

「パン屋さん」、「コロッケ屋さん」、百貨店など、身近にあって自分を楽しませてくれた小売業に子供のころから興味を持ち、そのまま一生の仕事になってしまいました。

大学は工学部でしたが、畑違いの経営論やマーケティングが好きで、本来は生産管理のために工業簿記をやらなくてはいけなかったのですが、商業簿記に興味を持っていました。もっとも、工業簿記が難しかったからかもしれませんが。また、その頃経営論の授業でドラッカーの「現代の経営」がテキストとなり、米国小売業のシアーズの組織がテーマになった章を読み、小売業のダイナミックさに大変興味を持ちました。更に、当時スーパーが飛ぶ鳥を落とす勢いで、ダイエーが百貨店の売上を抜き、小売業No1になった丁度その頃で、俄然小売業に興味を持ちはじめ、そのまま小売業に就職してしまいました。今はちっとも珍しくありませんが、当時小売業で理系は少なく、採用面接の際にもなぜ小売業に入りたいのと珍しがられ、色々と聞かれました。公務員だった親からは当然のように小売業への就職を反対され、今から思えば、親の安定志向への抵抗で、ひとつのアメリカン・ドリームを求めたのでしょうか・・・。
posted by 大島教授 at 14:23 | Comment(0) | 記事